うつだってブログ -13ページ目

好きな本(トラックバック練習☆)

evesさんのブログに「トラックバックの練習につかってください」と書いてあったので、お言葉に甘えて練習してみます。

テーマは「私の好きな本」。
いっぱいあるんですが、最近読み返した本で「魔術師の帝国」(R.E.フィースト著、ハヤカワFT文庫)が最高に面白いです☆。
十数年前に文庫で出版されているんですが、ジャンルはファンタジー、映画にもなったあの「ロード・オブ・ザ・リング」に匹敵すると言われた本です。のめりこむこと間違いなしです。
ハリーポッターの新刊読み終わってしまった人、良かったら探して読んでみませんか?☆

初めて読者がついた☆

今日は私のこんな「うつ」なブログに初めて読者が付いた☆
popopopoponさんという方。
早速先方のブログも見に行ってみた
↓ここだ。
http://popopopopon.ameblo.jp/

なんと、ジャンル別で4位にランクされていた。
すっごーい☆。

そっか、自分のブログを読んでもらうには、自分からも歩き回って見ればいいのか!そっかぁ、と感心した。

そこで思い立って、アメブロのトップからお勉強をしなおした。
アメブロ自体が2週間ほど前に出来たばっかりだということを、初めて知った。
ランキング道場も読んでみた。なるほどと思いつつ、「テーマを絞ってわが道を行け」というのだけはできないなぁ☆と思った。

あと、気づいたこと。私のブログは、文章が長すぎる・・・・反省

ブログジャンル「日記」は2600以上ライバルが居て大変だけど、マイペースでがんばります☆
ということで、今回は短めでおしまいっ。

最近ギターを弾いてない・・・

今日もマンガ喫茶に来ている。
今朝妻に小言を言われて、気分を晴らすために早めに外出したのだ。

ここのマンガ喫茶では、何台かTVを置いて常時MTV JAPANを流している。
今、日本の若手のバンドのライブビデオが流れている。
彼らは今何を思ってステージに立っているのだろう、と、ふと思った。

そういえば、最近ギターを弾いていない・・・

あのころ、僕は何を考えてギターを弾いていたのだろう、と考えてみた。

最初にギターを触ったのは中学2年生のとき。
以前叔父が使っていた物置同然の4畳半の部屋をもらったとき、クローゼットの奥から古いクラシックギターが出てきたのだ。
小学校1年のころから続けていたピアノのレッスンは中学に入ったころに嫌になって辞めてしまっていたが、音楽が嫌いになった訳ではなかったようで、早速親に見せて自分のものにした。

最初は確か楽器屋へ行って、フォークギターの教則本を買ってきて、それで練習した。最初に付いていた弦は、しばらくすると6弦に巻いてあるワイヤーがぼろぼろになってしまった。そこで、何も知らない僕はフォークギターの弦を買ってきてクラシックギターに張って弾いていた。クラシックギターにフォークの弦だから硬いのなんの。いい練習になったのかもしれないが、ちっとも上達はしなかった。(Fのコードがちゃんと押さえられるようになったのは3年くらいたった高校2年のころだったのを覚えている)

Fは押さえられないまでも、他にも弾きたくなった僕は、本屋へ行った。
本当は明星等の付録についている歌本が欲しかったのだが、またまた何も知らない僕は、本屋の音楽関係のコーナーを探し回った挙句、「アリス」のラストコンサートの「写真集」に、歌の歌詞と一緒にコードネームが書いてあるのを見つけて、それを買ってきて弾きまくった。
その後は楽器屋へ行くとタブ譜つきの楽譜を打っていることに気づき、アリス、チューリップ、中島みゆき、谷山浩子(後ろの2つはオールナイトニッポンつながりだ)など、いわゆるニューミュージック系のアーティストの全集物を買ってきては弾きまくっていた。
あの頃は、ただただ弾くのが楽しかった。
音楽を奏でられるのが楽しかった。
ピアノの方は、もともとは友達の発表会を見に行って、自分もステージに立ちたくなって始めたのだが、途中で先生が替わり、ツェルニーとかソナチネとかを使わない先生になったので、学校で周りの子が「30番やってる」とかいう話題についていけなくなり、つまらなくなって辞めてしまったのだった。
でも音楽が嫌いになったわけではなく、僕の人生にひょっこり現れたギターに夢中になったのだ。
学校から帰ってくると、自分の部屋にこもり、ただただギターを弾いていた。
2時間でも3時間でも弾いていた。たちまち弦を押さえる指の先の皮がむけ、それでも引き続けた。指先に本当にタコができると少し楽になった。
いつまでたってもちっとも上手くはならなかったけど、楽しかった。

高校に入り、高校2年になって、自分の高校に軽音楽部というのがあることをはじめて知り、恥ずかしながら勇気を振り絞って中途入部した。

3ヶ月に1回づつ位、定期コンサートを開いた。
文化祭のとき以外は、軽音楽部の部員と、PAをやってくれる放送部の部員しか居ない身内だけのコンサートだったが、観客の前でギターを弾いたり歌を歌ったりするのがなんとも言えず気持ちよかった。

当時はまだバンドブーム前だったが、ギタリストだけは掃いて捨てるほど居た。その為、バンドを組むときもギターが弾けるだけではギター担当にはなれなかった。

まず、歌が一番上手い奴、というより一番高い声が出せる奴が、「俺に歌わせたいのならギターも俺にやらせろ」といってギターを取った。こいつが一番ギターも上手かった。
次はギターしか出来ない奴がギターになった。俺よりはへたくそだったが、本人は決して認めなかった☆
キーボードはずっとピアノをやり続けている奴がとった。
ベースは無し。学校の隣に団地があり、うるさいというので電子楽器が使用禁止だったので、ギターはフォークギターとしても、ウッドベースなんて持っている奴が居なかったので、ベースは無しだった。キーボードだけは、音楽の幅が広がるとかなんとか上手いことを顧問の先生に言わせて、何とか職員会議を通させて使わせてもらえた。
すると余った僕は?ドラムになったのだった。
当時ドラマーはそんなにおらず、リズムが刻めるだけでドラマーにはなれたので、ドラムになった。ギターはアンコールでしか弾かせてもらえなかった。

というより、ギターでは1番になれなかったので、ドラムに逃げたのだった。

それでも楽しかった。ドラムでもギターでも何でも、コンサートは楽しかった。


大学に入り、音楽サークルに入った。
念願のギタリストとして1つのバンドに入った。
ギターはお年玉で買ったエレキギター。
新人歓迎コンサートで1回だけステージに立った。
曲は、U2の「New Years Day」とカーペンターズの「Please Mr. Postman」という不思議な組み合わせ。
コンサートは楽しかったが、バンドとサークルはそれきりで辞めた。
バイトらしいバイトをしていなかったので部費が払えなかったのと、ギタリストとしてはへたくそだったので、恥ずかしかったのかもしれない。当時は速弾きの出来ないギタリストなんかはギタリストとしてでかい顔は出来なかった。

ギターをやっていることは、僕にとってただの楽しみではなく、ステータスになっていたのだろう。
ギターが弾ける奴、というステータス。
バンドをやっている奴というステータス。
ギターで食っていこうとか、音楽で身を立てようなんて気はなかった。
ちょっと楽しく、あとは自分のプライドを保つためのステータスとしてギターをやっていたような気がする。

大学のバンドを辞めた後は、パソコン通信で知り合った友達とバンドを組んだ。
当時はニフティーサーブが始まってまだ1年くらいの頃。パソコン通信をやっているのも、パソコン通信のオフで社会人の友達を持つのもまたステータスだった。

でもバンドは楽しかった。
ボーカルの女の子とシンセの男とギターの僕のスリーピース。ドラムはリズムマシーン。月に1回くらいスタジオを借りて1曲だけオリジナル曲を作った。
ボーカルの女の子が作った詩に、僕とシンセの奴が曲を書いてきて、僕のほうが採用されたのだ。ボーカルの子の好きだったShow-ya風の曲。アレンジはみんなでやった。楽しかった。
結局デモテープを作るところまでいかなかったけどスタジオで練習するのは楽しかった。

でも、学校の友達に向けては、バンドをやっていることはステータスでしかなかった気がする。見せびらかすのが目的だったような気がする・・・


就職して、関東から名古屋に引越した。
その頃にはバンドも自然消滅していた。
自分で働いて稼いだお金でギターを買った。
欲しかったエレアコ(アコースティックギターにマイクがついているようなもんだ)を買った。
バンドはもうやる気はなく、自分の部屋で、弾くために買った。

でもやっぱり、会社の同期の奴らに対するステータスだった気がする。
何か自分の特色を出したいという意識。あいつはギターができる、別にそれが偉いというわけではないが、ひとつのステータス。
ただ音楽が好きで、上手くなりたくて・・・そんな純粋な気持ちではなく、ただのステータスだったから、あまり練習をするでもなく、上達もしない。
さらっと弾ける曲が何曲かあれば十分で、ボサノバなんかを軽く練習していただけだった。


結婚して、子供が生まれて、更にギターを手にする機会が減った。
まだ幼稚園にも行かない子供に、月間歌謡曲を手にモー娘を弾いてやったりしたが、それも2人目が生まれてからは止めてしまっていた。
もう、2年以上、僕のギターは埃をかぶったまま部屋のすみに立てかけられている。


そして、そんな見せ掛けだけのステータスでは自分のプライドを保てなくなった僕は、半年ほど前、ついにうつ病になり、会社に行けなくなってしまった。

もう、僕のギターはステータスではない。

今度またギターを弾いてみよう。

楽しむために、趣味として、僕はギターを弾くことができるだろうか。

それとも、ギターをステータスに使っていた頃を思い出し、また心に傷をつけるだろうか。

それでも、またいつかギターを弾こう。

そのときは、僕とギターは、一生付き合っていける友達になっているような気がする。
そうなっていたいと思う。

お月見泥棒(その2)

昨日のお月見泥棒の結果報告です。

5時過ぎくらいから、周りの家のあちこちで、ぴんぽーんとチャイムを鳴らす音と、子供たちの元気な声が聞こえてきた。
うちでも多少のお菓子は小袋につめて準備していたが、とてもレベルが違うようで、先ほどお菓子を追加するため、妻が買出しに行ってきたところだ。

小学生は、自分たちで家々を回っているが、うちの娘はまだ幼稚園生なので、同じ幼稚園の子供とその親と一緒に巡回する約束をしている。6時半に待ち合わせだ。
6時から早めの夕食を食べて、あわただしく追加したお菓子の準備をする。
そして6時半、娘たちは、デパートの紙製の手提げ袋を手に、母親は一緒に巡回する子供たちに渡す分のお菓子を持って出かけた。

もともとは、十五夜のお月見のお供え物を、こっそり家に入って頂戴してくる風習だったらしい、が、今はこんな風に変わっているらしい。
子供たちが家のチャイムを鳴らす「ぴんぽ~ん」
すると家の人が「は~い」と答える、すると
子供たち声をそろえて「おつきみどろぼうでーす!」
家の中から「何人ですか~?」と質問。
そこで子供たち「**人でーす」と返答。
すると家の人が、用意した人数分のお菓子を持って出てきてくれる。
子供たちはお礼を言って次の家へ・・・

大体は小学生の子供が友人の家々を回るので、
小学生の子供を持つ家が、お菓子を準備しておくのだが、
風習自体は古くからあるため、自分に現在子供が居なくても
子供たちが尋ねてくるのを楽しみに、お菓子を用意しておいてくれる家もあるらしい。子供が居なくてもお菓子をくれる家というのは、ちゃんと子供たちの間で情報が広まっていて、毎年ちゃんと来てくれるようだ。

我が家は、母親が子供と出て行ってしまうこと、父親の私は「うつ」でとてもそんなイベントに参加できない、というよりチャイムや電話のベルが怖いので不参加。ということで、家の前に「ひとつずつ持って行ってね」と書置きをして、ダンボール箱にお菓子を入れて置いておくことにした。

最終的にうちらの幼稚園軍団は結局子供11人も集まり、各親合わせて15,6人になった。最初にお互いのお菓子をやり取りし、それから小学生の居る家、お菓子をくれるとうわさの家々をまわった。
近所の2,3ブロックの中を行ったりきたり、子供は走り回る、大人は誰の子も関係なく「ほら!車が来るよー!よけなさーい!」の連続で子供を追い掛け回す大騒動。
1時間も歩き回り、坂を上ったり下ったりした後、最後に、子供は居ないがお菓子をくれるといううわさのあった1軒のお屋敷に行った。すると裏木戸に「おつきみどろぼう、おわりました」と張り紙がしてあったそうだ。時間も時間(夜7時半を過ぎている)だし、ちょうどきりがいいので、「ほら、おわりだって。みんなもこれで今日のお月見泥棒はおしまいにして帰りましょうね」と子供たちに言って、やっとお開きになったそうだ。

帰ってきた2人の娘は、三越と松坂屋の手提げ袋いっぱいにお菓子をもらって、にっこにこして帰ってきた。それから今度は、もらったそれぞれの小袋をあけて中身を確かめ始めた。母親と「1個だけいま食べていい」と約束をしたらしい。それぞれ好きなお菓子を1つ選んで満足そうに食べていた。
これで当分おやつのネタには困らないだろう。

しかし、見せてもらったが、きれいな紙袋にお菓子が入っていたり、リボンで止めてあったりで、ちょっとしたプレゼントのよう。話を聞くと、各家このようなセットを50個~100個は作るらしい。単価50円程度としても、100個も作れば5000円。手間も出費も馬鹿にならない。子供の居る家はお互い様かも知れないが、子供の居ない家はお月見泥棒さんに持っていかれるばかりだ。

それでも、こんな風習が残っていることがうれしい。
私は神奈川の生まれで、こんな風習は聞いたこともなかったが、
ネットで調べると、東海地方には結構やっているところがあるようだ。
「うちの近所でもやっていた」という人はコメントして教えてほしい。

しかし親にしてみればただ大変なだけだろうが、
子供にとってこんな楽しい事はない。
お年玉みたいに現金をやり取りするわけでもないし、お菓子のほうがよっぽどいい。昔みたいにただ忍び込んで団子を頂戴していくのではなく、ちゃんと各家の人と言葉を交わしてくる習慣に変わってきているのも、結構なことではないか。

いつまでも続いてほしいものだ。

タバコの害

今朝いきなり妻に小言を言われた。

「タバコを何とかして欲しい。貴方が吸い続けているのは,早く病気になって早く死んで家族に迷惑をかけるつもりかどうか知らないけれど,さっきはタバコがにおった。匂ったということは副流煙が流れてきたということだ。副流煙にはフィルターからすうよりよっぽど害がある。そんなものを吸わされているは我慢ならない。」
といやみったらしく言って来た。

こっちにだって言い分はある。
まずタバコは,うつで気持ちがイライラしているのを落ち着かせるため,また薬の眠気を押させる為に有効な最後の砦なのだ。吸うときだって,2階の自分の部屋に閉じこもり,窓を開放して扉は閉めて家の中に煙が流れないようにして吸っているのだ,しかも雨の中窓の外に顔を吸っている。さっき臭ったのは,タバコを吸っているときに急にトイレに行きたくなって,たまたま勢い良く扉を開け閉めしたから,勢いでにおいが少し流れていってしまっただけじゃないか。

そもそも,副流煙のほうが害があるといったって,副流煙をどれだけ吸ったら,自分でタバコを吸っている人より害が大きいっていうんだ。臭ったくらいで大した害なんかあるわけが無い。職場の隣の席でタバコを吸われて煙を受けている状態と一緒にするな。なんならデータを出してみろ,数字で勝負しようじゃないか。

大体妻は,健康関連のことになると,新聞記事を鵜呑みにしすぎる。新聞記事には故意に嘘は書いてないだろうが,怪しげな根拠だったり,殆ど間違っている事だって多い。以前何かの実験で「なんとこのケースでは67%の人に効果があることが実験でわかった」などと書いてあったが,記事をよく見ると,全体の被験者数から推定して,「このケース」というのは単に3回実験をして2回ヒットしたというだけだった。そんなのは統計的には全く意味がない,そういうのを「たまたま」というのだ。
妻はその手の記事ですっかり正しいと思い込んでしまう。いい加減にして欲しいものだ。

そんなときこっちは,「は~い」と答えて聞き流して無視する。気の無い返事は,従うつもりは無いことをせめて匂わせておいてやろうという意図だ。

大体結婚前に付き合っていた頃は,「今までは道でタバコを吸っている人を見ると後ろから蹴っ飛ばしてやろうかと思ってたんだけど,あなたが吸ってるのを見るとそれもかっこよくみえちゃうのよねぇ」なんて言っていたくせに,勝手なもんだ。

子供が可愛いのは判るけどさ。
おいらが「うつ」で迷惑かけっぱなしなのも申し訳ないけどさ。
・・・・・

へんっ,こんなことでタバコを止めてなんかやらねーからな!!!
(これも負け犬の遠吠えか・・・)